神戸の路地から
神戸の路地から、政治についてぼやいたり叫んだりするブログ
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日だまりの老犬           (加島一正)

Author:日だまりの老犬           (加島一正)
神戸の下町でちっちゃな塾を営んでいる、団塊じいさん。
どんな子でも自立して社会に出れば、そこそこ幸せな生活ができるような世の中にしたくて、がさごそと動く今日この頃。
心がける合い言葉は、「あきらめず、しなやかにしたたかに。」



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左の空より昇りし朝日、やがて右へと沈みゆく
朝日新聞叩きがすざまじい。常軌をを逸している。
読売と産経と週刊誌連合軍に言うことは、1つしかない。
「お前が言うな!」

朝日の幹部の謝罪会見の時、偉そうに追求していた読売と産経の若い記者達の張り切りぶりには、
怒り以上に痛い哀れみを感じた。
自分の会社が朝日の3倍も5倍も腐っていることを本当に知らないのだ。
糾弾されるべきは、朝日より先に自分たちの上司や先輩だと言うことに気づいていないのだ。
この未熟児達はマスコミに潜り込めるほど学校のお勉強ができてたはずなのに、鏡に映る自分達の醜さが全く見えていないのだろう。
そしてこのままエリート意識を丸出しにして、これからもジャーナリストを気取るのだろう。
これでは、大手新聞社の存在価値など、これっぽっちも無くなってしまう。

とにかく、この数日間の朝日叩きは、本当におぞましい光景だった。
すり寄っては来たものの、朝日に残る中途半端なリベラル感が煩わしいと思う自民党と、
このまま大手紙が複数残ることは無理だと判断し、朝日を蹴落とそうと思った読売と。
この2つが手を結び、朝日をリベラルの牙城だと無理矢理設定した上で破壊し、
「ほら皆さん、朝日などという左よりのリベラルとは、こんなにインチキなのですよ。」
と喚きつつ、一気に風を右向きに吹かせようと企んだに違いない。
私はそう解釈している。

ただ、そうは思っても朝日を擁護する気にはなれない。
どうせ金儲けと保身のために権力に擦り寄るなら、読売のように居直って、
ジャーナリストの魂どころか、人間の誇りを失ってでも勝ち残ろうとすれば良かったのにね。
中途半端にエリート新聞のプライドを持ち続けたのが、可哀想に命取りになったのだね。
そう同情してあげるだけだ。

朝日

45年ほど前まだ朝日が有楽町にあった頃、私は朝日のアルバイト学生だった。
「子供さん」と呼ばれていた学生アルバイトは、数十人いたと思う。
私は連絡部や校閲部で、社員の手伝いの雑用をしていた。
社員食堂が安く、社員も学生仲間も親切な人が多く、楽しく働いた。
その頃の私にとって、「朝日新聞社」は輝ける朝日そのものだった。
私はいろいろあって、入社試験を受けることはなかったが、友人はそのまま入社した。

子供の頃から30代まで新聞は朝日、学生時代から週刊誌は朝日ジャーナルだった。
わたしにとって、ジャーナリズム=朝日だった。
それが変わったのは、少しずつ左翼政党や市民運動に関わったりしてからだ。
憲法9条に関する活動、阪神大震災や神戸空港に関する活動などに参加すると、
大事なことが報道されなかったり、報道が間違っていたりすることに気がついた。
無条件に信用していた朝日が、だんだん信用できなくなってきた。
そして、小泉内閣の頃からだろうか、マスコミが政府の委員会に取り込まれるようになり、
朝日からも反権力の臭いは消え、信頼は完全に崩れた。

思えば、新聞が朝日が少しは輝いていたのは、悲惨な戦争が社会を破壊し尽くされた後、
みんなが1から出直そうと必死だった高度成長期だけだったのですね。
丁度、フランスのトマ・ピケティが、「社会の経済格差が少なかったのは、
世界大戦で社会が破壊された後のほんの1時期だけであった。」と言った、
それと同じ偶然の1時期だけだったのですね。

戦時中は、朝日は1番最後まで抵抗したとはいえ、戦争を煽って生き残ってきた。
戦後は、根本からの反省をせずに、リベラル紙の代表としての地位を獲得してしまった。
しかし、日本が経済大国になってきた頃、結局本性を現してきた。
ジャーナリズムの魂より、経営拡大と金儲けと地位確保を優先してきた。
本来、会社経営とジャーナリズムは両立しにくものだ。それは分かる。
しかし新聞社を経営するのなら、言論と経営のせめぎ合いにギリギリの努力をしてほしかった。

小泉首相を国民的アイドルのように持ち上げて新自由主議を礼賛し、
一方で小沢氏による政治改革を潰すために検察権力の応援をした。
原発事故の後も原発マフィアを護るために、政府の報道管制に協力した。
この3つだけでも、新聞は万死に値する。
朝日もこの時点で完全に信頼を失っていた。
私からすれば、今ここで誤報問題が起き上がろうがもう関係ないという気持ちだ。

読売は朝日叩きが自分たちに有利に働くと思っていたようだが、大きな間違いだ。
毎日にも流れることはない。まして産経など、まともな人間には相手にされない。
これは新聞離れ、活字離れに拍車がかかるだけだ。
別に、大新聞がつぶれるのはかまわない。
東京新聞を初め、地方新聞があればしばらくは事足りる。
下らない週刊誌がつぶれるのもかまわない。

ただ、ジャーナリズム全体を考えると、まだまだネットでは物足りない。
正誤が分からない情報を、ただ右から左に垂れ流すだけのものではなく、
心ある職人が広く情報を集め、職人が情報を吟味し報道する機関がやはりほしい。
個人的な好みで行くと、できれば活字の媒体が欲しい。

結局、今回の朝日叩きで感じたことは、こんなことだった。
「朝日は左翼の代表でもなければ、リベラルの代表でもありませんよ。」
「新聞社のつぶし合いを、リベラル勢力つぶしに利用するな。」
「本当に国民に寄り添う新聞を作らないといかんなあ。」


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