神戸の路地から
神戸の路地から、政治についてぼやいたり叫んだりするブログ
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日だまりの老犬           (加島一正)

Author:日だまりの老犬           (加島一正)
神戸の下町でちっちゃな塾を営んでいる、団塊じいさん。
どんな子でも自立して社会に出れば、そこそこ幸せな生活ができるような世の中にしたくて、がさごそと動く今日この頃。
心がける合い言葉は、「あきらめず、しなやかにしたたかに。」



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まず「生きる・暮らす・学ぶ」を保障しろ。話はそれからだ。
私たち国民は国にお金を払って、政治家と公務員を雇い国の運営を任せています。
私たちが金を払って、国にやってもらおうとする基本的な要求は、簡単です。

「国民が安全に生きるられること」
「みんなが最低限のまともな暮らしができること」
「希望する者は学ぶ機会を持てること」
これだけです。

GDPが何位だろうが関係ない。
国際収支が+だろうが-だろうが、どっちでもいい。
G7のメンバーや、国連の安保理常任理事国なんてならなくていい。
TPPに入らなくとも、どこの国とも仲良く商売すればいい。
オリンピックなんて、どこの国でやろうが関係ない。
世界遺産にいくつ登録されようが、特に興味はない。
どこの国の戦争にも、あんまり関わりたくない。

そんなことより、「生きる・暮らす・学ぶ」だけを保障してくれればいい。
これができなければ、国を造った意義がないし、
これが満たされないなら、国に金を払う意味がない。

今、私たちの国を見渡してみると、
「最低限の暮らし」は保障されていません。
日本は世界で3番目の金持ち国だって。
そんな国でどうして、国民の貧困が放ったらかしにされているのでしょうか。
安倍自民党が、国民の貧困などに興味も関心もないからです。
日本が真剣に国民の貧困に向き合おうとすれば、愚かな消費税など持ち出さず、
アメリカに貸してある大金を、命を賭けて返してもらいに行くはずです。
安倍自民党は国民の生活より、アメリカ様のご機嫌が大事。
自国民より外国への従属を優先する国は、独立した国ではありません。

「平等に学ぶ機会」も、日本にはありません。
現実として、十分な教育を受ける権利は金持ちだけにしかありません。
教育は貧富の差で選別するのではなく、意欲と能力に与えられるものです。
国の未来を思い、教育は国の基本という考えを持てない国に、将来はありません。

その上、安倍自民党は「国民の生命の保障」まで投げだそうとしています。
「安保関連法」の強行採決です。
日本を守るためではなく、アメリカの戦争に国民の生命を捧げようとしています。
「生きる・暮らす・学ぶ」を国民に保障できない、安倍自民党率いる国家は、
私たちにとって、もう国と言えない代物です。

そこで、他の野党です。
国民が「生きる・暮らす・学ぶ」を保障されていないこの状況で、
いったい何をチマチマしているのでしょうか。
共産党の身を捨てての呼びかけに対して、生活・山本太郎と社民党はすぐ反応しました。
当たり前です。この3党は国民の置かれた惨状をよく理解しています。
他の党は、この国の惨状見ていながら何を迷うことがあるのでしょう。

政党の名前など何でもいい。党首がだれでもいい。
今の与党連中がマトモな政党でないので、他の政権に変わって欲しいだけです。
国民の最低の要望「生きる・暮らす・学ぶ」を保障してほしいだけです。

今が政権交代のビッグチャンスなのではないですか。
マトモデナイ党首率いる自民党と、憲法違反の宗教政党が暴政を敷いているのです。
こんな酷い状況はめったにありません。国民の怒りもふつふつと沸いています。
この機会を逃す政治家は、政治家など辞めた方がいい。
それでも動かないのなら、実は隠れ与党で野党ではなかったとばれますよ。

今は、それぞれの政党と政治家の本当の姿が暴かれる時です。
世襲や金儲けのために政治家になった人、信念のない風見鶏のような人は、
早い内にあきらめて政治家から身を引いた方が賢明です。
これからの激動の時代には、いい加減な人を養っておく余裕はありません。
これからも政治家として生き抜いていこうとする人は、しっかりと国民の側に立つのか、
国民を敵に回してでもあくまで利権を求めていくのか、決断をしなければなりません。
中途半端な存在では、生きる場所はありません。

政治家だけでなく、私たち国民にも試練が待っています。
最低限の「生きる・暮らす・学ぶ」を手にするために、闘う気概があるかどうかです。
国民の共闘なくして、政治家の活動はありえません。
まして政権交代のためなら、強力な国民の後押しがいるでしょう。
これからは、「闘わずして手にいるものは無し。」
私たちは、そう考えるしかありません。
ああ、しんど。


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