神戸の路地から
神戸の路地から、政治についてぼやいたり叫んだりするブログ
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Author:日だまりの老犬           (加島一正)
神戸の下町でちっちゃな塾を営んでいる、団塊じいさん。
どんな子でも自立して社会に出れば、そこそこ幸せな生活ができるような世の中にしたくて、がさごそと動く今日この頃。
心がける合い言葉は、「あきらめず、しなやかにしたたかに。」



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あの「政権交代」の歓喜は、はるか遠くになりにけり
2009年の「政権交代」から6年・・・・
ほんのわずかな年月のはずが、ずいぶん昔のように思われます。
反自民の勢力が集まって受け皿さえできれば、もう一度「政権交代」はできるはずだ。
なんて、楽天的な望みを抱えてちょびっと応援活動してきたけれど、
とてもとてもそんな状況ではないと、このごろ痛感しております。

安倍首相はISILに2人の人質が捕縛されていると知って、2人を助けずに殺させてしまい、
その犠牲を利用して中東戦争の仲間入りをしようと画策しました。
それどころか、2人の犠牲者の戦地派遣に最初から絡んでいた疑いさえあります。
しかし、安倍首相の責任を追及する動きは、国会にもマスコミにも見受けられません。
ああ、「とうとう来るものがやって来た。」と、強く感じました。

また、国で最高の知性と冷静さと決断力をお持ちのはずの内閣総理大臣が、
「ニッキョウソ!ニッキョウソ!」と、支離滅裂の言葉を国会で喚き散らしていました。
そして誰もそんな人間を叱りません。首をすくめたまま放し飼いをしています。
このおぞましい光景を見せられたとき、背筋が寒くなる思いをしました。
ネットでいくらボロクソに言ってみたところで、安倍政権には何の打撃も与えられません。
これからこの最悪の首相が、私たちを戦後最悪の状況へと引き連れていく事でしょう。

今の時代は、私たちが思っているよりはるかに危険な時代になってしまいました。
反自民で結集すれば、安倍首相を降ろし再び「政権交代」はできる。
そんな甘い期待を持って活動していても、すぐに失望してしまうだろうと思います。
安倍晋三は確かにアホですが、安倍政権を支える土台は悪い意味で有能です。
この際、悲観的に後ろ向きになるということではなく、根拠のない楽観主義を捨てて、
現状をありのままにもっともっと深刻に捉える必要があると感じています。
ある人はそれを「もっと絶望しろ。」と表現したりしています。

考えると、あの「政権交代」の歓喜はいったい何だったのでしょう。
これから日本は変わっていくという、あの甘い期待は何だったのでしょう。
あれは、あまりにも戦後日本の歴史を知らなさすぎた私たち愚かな日本人の、
儚くも哀れな幻想だったのかと思われます。

最近の選挙戦での惨敗を反省し、次の「政権交代」を目指すために集まったとき、
何故「政権交代」ができたのかを振り返ろうと、よく言われたりしますが、
私自身の考えでは、あれはそんなに大きなうねりではなかったと思っています。
世の中を変えようという国民の意思はそんなに大きくはなかったと思います。

2009年の前、マスコミは自民党叩きで世論を煽っていました。
麻生首相の知性をバカにし、世襲議員叩きを展開していました。
大衆の感情に迎合する報道として、自民党叩きをやっていたのだと思います。
そしてその時タイミングよく、代わりに政権を担えそうな民主党が現れました。
自己中心の自民党に対して、国民の生活を考える民主党という構図です。
マスコミが吹かす風に乗って、昨日まで誰も知らなかった民主党議員が大勢当選し、
勢いで「政権交代」が起きてしまいました。

掲げた政策もよかったし、国民の為に真摯に努力しようとした政治家もいましたが、
結果として、政策の中身や政治家への信頼で票が集まったのではなく、
マスコミと国民感情と政党状況がうまく重なり合った幸運の産物だったと思います。
これから意識的に同じ状況を作り上げるのは、どうも無理だと思っています。

国民の感情(または劣情)はいい加減なもので、
1度目は、自分たち応援した「政権交代」が成功して、喜びの + の方向で満足し、
2度目は、内部の裏切りによる崩壊劇を見ながら、怒りの - の方向で満足し、
3度目は、もう関わりたくないと、冷ややかになっている自分に満足しています。
こういうふわふわした国民感情を頼りにし、今では完全に自民党の前衛部隊になっている
マスコミをもう1度味方につけることなど至難の業に思われます。
どうしても、受け皿さえできれば「政権交代」はできると簡単には思えません。

それでも、先の「政権交代」は隠れていた多くの日本を覆う闇を知らせてくれました。
これほどアメリカがソフトに完璧に日本を支配しているとは気がつかなかった。
日本の中枢にいるこんなにたくさんの人間達が、日本の為に働いているのではなく、
アメリカの意向を忖度しアメリカの国益のために働いているとは知らなかった。
「政権交代」とネットのお陰で、それが目の前に現れました。

考えてみれば、戦後65年目にやっとこさ1度「政権交代」を起こしただけで、
すぐにでも世の中が変わり始めていくことなどあり得ません。
今回は、私たちの前に日本の実在の姿を露わにすること位しかできなかったのでしょう。
日本をもっとまともな国にするためには、まだまだ時間が必要なのでしょう。
すぐに「政権交代」ができて、すぐに改革ができるはずだと軽く考えていたら、
結果がなかなか出ない失望の方が大きくのしかかってしまうでしょう。

本当に長い厳しい闘いになりそうです。
大変だ、難しいと、後ろ向きのことばかり言って前向きの提言がないのが残念ですが、
思ったより情勢は厳しいと痛感したもので、ぼやいてしまいました。
絶対あきらめないという思いは、いつも同じです。


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神社と自民党、下町の小さな風景
私の住む町には、お稲荷さんが鎮まる小さな神社があります。
地域のご婦人方が日々のお世話をし、町の自治会が管理をしています。
先日そのお稲荷さんで、1年で1番大事な初午祭(はつうまさい)がありました。
毎年10人ぐらいが参拝し、私とうちのカミさんも参拝させてもらいました。

すぐ近くにある古い神社の宮司さんに祝詞(のりと)を上げていただきました。
その神社は小さいけれど由緒のあるお宮さんで、室町幕府が開かれる少し前の時代、
足利尊氏が一時政争に敗れて九州へ下る際に、再起祈願をしてこの前の浜から船に乗り込み、
はるばる西へ向かったと言われています。

いつも祭事が終わった後には、お稲荷さんの社の敷地内に小さな社務所があり、
そこで宮司さんを含め皆さんで食事をし、お下がりを頂戴しています。
今年も歓談をしながら食事をしていたとき、1人の参拝客が入ってこられました。
よく見かける顔だと思ったら、街角のポスターでお馴染みの自民党の県会議員さんでした。
時期も時期、さすが自民党の県会議員はいろんな所に顔出しするなと感心した次第です。

するとこの県会議員は、神社の宮司さんとも親しいらしくよく会っている話しぶりです。
そして、この初午祭を主催している自治会長とも懇意なようで、親しく話していました。
なるほど考えてみれば、お稲荷さんの初午祭はというのはいわゆる神事なので、
この地域で一番強い力を持つ亜流仏教政党の公明党も、近寄ってはきません。
まして、地域で結構勢力のある共産党も、ほとんど無神論なので寄ってきません。
また、話を聞いていると、この県会議員は神社本庁の役員とかなんとかで、
この分野は自民党の独壇場といういうところでしょう。

下町といえどもこの地域は一応都会の端くれですが、都会には都会の田舎には田舎の、
神社関係に限らずあらゆる場面での、様々な交流がどこでも見受けられるのでしょう。
もっと地域の繋がりの深い地方へ行けば、がんじがらめの交流が日常茶飯なのでしょう。
地方議員はあらゆる場面で地域の集団に浸透し、関係を作り上げて広げていき、
それで自分の議員の身分を安定させ、国会議員の選挙活動の足場にしていく。
時代が変わろうが世界が動こうが、地方議員はひたすら日々これに没頭しているのでしょう。

自分が所属する党の最高責任者がどんな人間であろうと、きっと関係ないのでしょう。
口先で誤魔化しながら日本の富をアメリカに捧げてきた、詐欺師総裁であろうと、
他人の話は全く聞かずに、戦争することに突き進んでいく、狂人総裁であろうと、
自分には関係ないことで、自分は何も考えないことに決めているのでしょう。
まして、かつて自民党で最も有能で実力者だと目されていた彼らの大先輩の元自民党員、
小沢一郎氏が、何故自民党総裁の座を蹴ってでも自民党から去っていったのか、
そして何故これほど冷遇され続けていながら毅然としていられるのか、
そんな想いなど考える気持ちも能力も、彼らにはないのでしょう。

とにかく、私たちが「危険すぎる首相安倍晋三」を引きずり下ろそうとするためには、
国会議員だけでなく、彼ら地方議員の保身と献身の活動とも闘わなければいけません。
その意味で、今年の統一地方選挙は次の総選挙に向けての第一陣とも言えると思います。
できるだけ、自己中心的で無責任な自民党地方議員を当選させない。
そのために、地方選挙にもしっかりと関わっていきたいと思っています。


狂気の世襲政治屋を拒否しなかった代償
我が日本国の総理大臣であらせられる、「安倍晋三」の暴走が止まりません。
狂信的な暴徒の残虐さと「安倍晋三」の愚かさによって、二人の日本国民の命が奪われました。
無知か悪魔の計画か、結果として「安倍好戦外交」の生け贄として捧げられてしまいました。
去年暮れの総選挙での自民大勝利から覚悟していた想定内の事ではありますが、
実際に暴れ狂う安倍総理の姿を見せつけられ、誰もそれを止められない現実を見せられると、
ただただ背筋がうすら寒くなる思いです。

なぜこんな人物が我が国の頂点に君臨することになったのでしょう。
動物は本能的に危険な物を見分け、それを回避しようとする能力があるはずです。
これまでの人生で多くの人と出会った人は、「安倍晋三」を政治の舞台で初めて見たとき
「こいつは絶対ダメだ」と、たくさんの人が思ったのではないでしょうか。
私も「小泉純一郎」が自分の後継者として実績のない「安倍晋三」を指名したとき、
この人物は絶対に責任のある地位に就けてはいけないと強く感じました。

日本国民は「安倍晋三」の前に「小泉純一郎」で懲りたはずです。
第1代狂気の総理「小泉純一郎」によって日本の富はアメリカに献上されてしまい、
日本経済は破壊され不平等と格差と貧困が日本国中に広がりました。
「安倍晋三」への後継者指名は、「小泉純一郎」の国民に対する悪意の遺産でした。
それを当時の日本国民はやすやすと受け入れてしまいました。
そして、「安倍晋三」が無能で幼稚で危険な人物だと分かってからも拒否することなく、
二度ならず三度も受け入れて次第に絶大な権力を与えてしまいました。
多くの国民は、危険を察知する動物的本能を失っていたいたのでしょう。

今や「安倍晋三」は怖い者なしです。
総選挙で圧勝し自民党内に逆らうものは無し、公明党・維新などを子分に従え、
民主党には「同じ穴の狢」を入り込ませて骨抜きにし、共産党はガス抜き政党として許し、
やっかいな生活の党はミニ政党にしてしまったのでもう怖くもない。
マスコミは、NHKと読売新聞を始めほとんど政府広報機関に落としてしまった。
国民は「平和ぼけ」をしていて、羊のようにおとなしいので反抗する気力もない。
苦手な外交においても、有志連合やNATOの一員として対テロ戦に参戦していけば、
とりあえずアメリカも自分を放し飼いにしてくれるだろう。
「安倍晋三」は、天上天下唯我独尊です。

私たちは、こんな狂気の絶対権力者に抗う術があるのでしょうか。
今「安倍晋三」の愚行による犠牲者を目の前にしても、為す術を持てないのでしょうか。

歴史の中で国が大きく体制を変えるとき、常に大きな犠牲を伴いました。
皇室や幕府の交代劇は、いつも内戦の結果として起きています。
明治維新も外国の干渉を受けながら、大きな内戦を伴って行われました。
太平戦争後の民主主義の出発も、内外のおびただしい犠牲の上で与えられたものです。
そうすると、本当の民主主義と本当の独立国家を求める今の闘いを完遂するには、
阪神淡路大震災、東北大震災、フクシマ原発事故、経済格差の拡大ぐらいでは、
世界の中で豊かな日本においては、犠牲が少なくてまだ変革の契機にはならないのですか。
まだまだ苦しまなければいけないという事なのでしょうか。

確かに、私たちの前には「安倍晋三」がたくさんの犠牲を用意してくれています。
  アメリカの下請けで「対テロ戦争」に参加 = 報復として日本国内テロの危険
  憲法改悪 = 戦争国家になり、やがては徴兵制導入
  原発の再稼働と新設 = 次の事故が間違いなくやってくる恐怖
  TPP参加決定 = 日本国家の上に多国籍企業が君臨
沖縄米軍基地固定 = アメリカ追従永久化、安保利権死守
不平等と格差の拡大 = 少子化・GDP減少 → 国の弱体化
言論統制 = 国民は国家に絶対服従  

日本がこれだけのものを受け入れて犠牲を払っても豊かな生活を保つ事とができるのは、
国民の10%にも満たない特別な身分の人たちだけでしょう。
残りのわれわれ90%の民は、否応なくこのまま犠牲になるだけです。

頼みの政治家、各政党はこれをどう捉えているのでしょう。
自民党は選ばれし者に入っているという自信があるので、歓迎または黙認。
公明党・創価学会は元々90%の信者の犠牲の上に成り立っているので、いつも通りです。
民主党・労働組合はどう考えているのでしょう。先の事は何も考えていないかもしれません。
共産党は反対する姿勢を見せさえすれば、結果がどうであろうと自己満足して完結し、
後は進んで苦難を引き受けるのでしょうか。
維新は、維新は、あそこは何なんでしょう。何を考えているのでしょう。
生活・社民など小さくなったリベラル政党や志の高い無所属議員や浪人議員は、
おそらくこの事を一番真剣に考えている政治家達でしょう。
言い換えれば、それ故に小さい存在にさせられてしまったとも言えます。

「安倍晋三」の政治で犠牲になる90%以上の国民を代表しているはずの政治家が、
逆に10%に満たない数になっているという逆転現象が起きてしまっています。
政党の構成が国民の思いと比例していないどころか、反比例しています。
私たちの闘いは、この逆転を元に戻して国民の思いを反映することにあります。

それでも、既成の政党を単純に組み合わせて数を造ろうとして民主党の分裂を願っていても、
無い物ねだりで無理だということが分かりました。
残念ながらあの党には、政党としての芯がありません。政党としての意志がありません。
なので自分から目的を持って動くことはできないのです。
自民・公明・共産以外の既存の政党は、何かの風や動きがあった時にその動きに乗ってしか、
存在感を発揮することはできないでしょう。

鍵は投票に行かない50%の主権者達でしょう。
彼らはいつ動くのでしょう。
  自分が倒産やリストラに遭って失業した時から?
  テロで自分の会社近くの駅が爆破されてから?
  TPPのせいで農業が立ち行かなくなってから?
  低所得で結婚や出産ができないとあきらめた時から?
  息子や孫や夫が戦場に行かされてから?
  ブログで発信したことが検閲に引っかかって逮捕されてから?
そうなってから初めて動くのでしょうか。

確かに現状では、もっと犠牲の上乗せがないと何も動こうとはしないかもしれません。
その更なる犠牲は、テロ?再原発事故?自衛隊の犠牲者?徴兵?経済破綻?
それでもこれらの犠牲は、最善か最悪かどちらの方向に向かって動くかは分かりません。
今できることは、「早く動けば犠牲は少ない。遅くなれば犠牲はより大きくなる。」
彼らにそう危機を伝え共有し、連帯の広がりを持ちたいと思っています。

本当は私も、今すぐ何を置いても「反・安倍」闘争に参加しなければいけないかもしれない。
「何をしている、もうそんな時代になっているのだ。他国では命をかけて反抗しているぞ。」
そう言われているかもしれません。
でも私には仕事があり家族があり、食べていくためには何もかも捨てるわけにはいかない。
それに、自分は臆病でずぼらな性格だし飽き性だしと、たくさん言い訳をしてしまう。
生活しながらできるだけ参加しよう、そんな立場でしかおれないのは事実です。
ただ、のんびりしていて高をくくっていたら、すぐにでも災難はやってくるはず。
それは代償として受けなければならない、その覚悟だけはしているつもりです。

今回目の前で、二人の国民の生命を計画的にか偶然なのか自分の政治目的に利用した
「安倍晋三」の非情と狂気を、またそれに同調するマスコミの醜悪さを見せられたとき、
ああ、これまでとは違う時代がやってきたなと痛感した次第です。